2018年2月5日月曜日

囲碁のマナーは何の為にあるのか


はい、皆さんこんにちは。

囲碁講師の坂本亨秀( さかもとあきひで )です。

さて、今回は「 囲碁のマナー・礼儀 」についてお話をしていきます。


囲碁は昔から紳士的競技とされ、マナーに非常に厳しいゲームです。

正座でキチッと背筋を伸ばした姿勢が美しいとされ、
勝負は常に盤面の上で正々堂々と。
番外攻撃など非紳士的行動は冷たい視線に晒されます。

特に第三者が口出しする事はご法度とされ、
碁盤の造りにもそれは表れています。

足つきの碁盤の裏の窪みは有名な話ですね。
足つき碁盤の裏には、ぽっかりと窪みが彫ってあります。
この部分は「 音受け 」と言って、
石を置いたときに良い音がでるための工夫なのですが、
この音受けには「 血だまり 」という別名があります。

えらく物騒な名前ですが、冗談でそう呼ばれているわけではありません。
昔は、対局中に横から口出した者の首を刎ねて
碁盤を裏返したこの窪みにその首を置いたといいます。
その為、この部分を「 血だまり 」と呼んだのです。

また、碁盤の足の形にも意味があり
あの独特の形はクチナシの実を模っています。
「 クチナシ 」→「 口無し 」といった具合ですね。

対局前・対局後の挨拶も大事にされ、
囲碁は非常に礼儀を大切にする競技と言えるでしょう。


さて、ここからが本題なのですが
どうしてこういった話を今回書こうかと思ったかについてです。



先日、私が講師を務めているこども囲碁教室で
2級格の女の子と対局をしました。
その対局は「 試験碁 」といって、
例えば今回の場合は、2級の手合いで講師と3局打ち、2勝すれば合格。
晴れて「 2級格 」から「 2級 」になる、というものです。

普段の対局が生徒同士だけだと、相性などの問題で簡単に級が上がってしまい、
実力にそぐわない級になってしまうことがよくあります。
何級か毎に試験碁を設け講師が相手をすることで、
こういった級のインフレーションを防ぐ役割があります。

となれば、こちらも手を抜くわけにはいきません。
真剣勝負で立ち向かい、わざと負けるようなことはしません。

結果は、その女の子の負け。
整地をした直後、石を片付けるよりも先に泣きだしてしまいました。
膝を抱えて顔を伏せ、嗚咽を漏らします。

私ももとはプロを目指していたので、
負ける辛さはそれなりに分かっているつもりです。
じっと座って、彼女が落ち着くのを待ちました。

しばらくすると、泣き声も弱まっていきほとんど聞こえなくなります。
私が「 挨拶できますか? 」と訊くと「 はい 」と答えて
正座に座り直し、しっかりと頭を下げて局後の挨拶をしました。
石を片付けている間、また涙が込み上げてくるのを我慢して
碁笥を碁盤の上に乗せ、もう一度ちゃんと挨拶をします。

私はこの時「 ああ、しっかり育ってくれてるなぁ 」と思いました。
負けた悔しさで泣けることは良いことです。
しかし、それと礼儀を欠くことは別問題です。
子どもは特に、負けて荒れることが多いですが、
この教室の生徒たちは最後まできちんと挨拶をし、
悔しさに支配されて礼儀に反することをしません。

そういったものはすべて、心の強さに直結しているのではないかと思います。

負けるのは確かに悔しいですが、
だからといって、無礼をはたらき
相手を不快にさせていいわけではありません。

相手がいないと、碁を打つことはできません。
囲碁は一人では打てないのです。
ならば、たとえ負けて悔しい想いをしたとても
相手の為に、なにより自分の為に
きちんと「 ありがとうございました 」と挨拶すべきです。
そうやって自分の感情を制することが心の強さです。

礼儀とは心を育てる為にあるのではないでしょうか。

私は普段から、囲碁を通じてものの考え方を学ぶことが大事だと思っています。
今回は、マナーをただの形式上としてのものに終わらせず
マナーや礼儀を通じて、心を鍛えていくことが大事なのではないかと改めて思い、筆をとった次第です。



囲碁講師 坂本亨秀

参考ページ
碁盤の「 血だまり 」の考察

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